わかったつもりでいたけれどほんとうはわからなかったこと。

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作品のテーマはあえて隠すことで逆に浮き彫りになるのだなあ。「ZOO1」乙一著

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 乙一さんの短編集。そのなかに「陽だまりの詩」という一編がある。

「病原菌により人類が絶滅した地球で、ワクチンを成功させて一人だけ生き残った科学者の男が、アンドロイドの少女を造り、自分の最期を看取らせる」

そんな話。

 

科学者「君は僕が作った。君の役目は僕の死を看取ることだ」

少女「はい。マスター。ですが私には『死』というものがわかりません。内蔵モーターが停止することとは、ちがうのですか?」

こんなやりとりをしながら科学者の男の「死」は刻々と近づいてくる。

  

   乙一さんの作品は、

  「語りたいテーマ(ここでいう「死」)があるときに、あえてそのテーマを欠落させた存在(アンドロイドの少女)を登場させることで、逆説的にそのテーマを浮き彫りにさせる

というしくみになっていることが多いように思う。

世の中にある他の創作物でも同じようなパターンはあって、

手塚治虫の『火の鳥』では、不老不死で死ねなくなった男を描くことで「生きる意味」を、

 『ジョジョ第四部』では、「自分は平凡な人間だ」と思い込んでる殺人鬼(吉良吉影)を描くことで「真の邪悪さ」を読者に問いかけてくる。

  「エヴァンゲリオン』で感情を知らない綾波レイが時折見せる微笑みを見て、「やっぱり女の子の笑顔って最高だな…」と思ったり、

スラムダンク』で「自称天才」の桜木花道が、ドリブルや庶民シュートの練習に苦しむのをみて「努力って大事だなあ」と感じたり、『スラムダンク』というタイトルなのに、最終回のブザービートが、豪快なダンクシュートではなく、ふつうの平凡なジャンプシュートだったりするのも、たぶん、だいたいは同じような話です(雑だな・・・)

 

   さらに、乙一さんの小説は文体が圧倒的に優しく(ご本人の最初の読書体験はライトノベルの元祖「スレイヤーズ」だとか)、重いテーマもすらすらと読めてスッと入ってくる。

 

「あれが太陽ですか?」

「そうだ」

「太陽光線にさらされて、体表面温度がわずかに上昇しました」

 

こういうやりとりもとても良い。

 短編集なので空き時間にさっくり読めます。

 

また、この「ZOO」の各短編は、それぞれ映像化もされてる。気になる方はぜひ。

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陽だまりの詩 - YouTube