わかったつもりでいたけれどほんとうはわからなかったこと。

読書。独学ヨガ。ミニマリズム。わからないことだらけ。

虚構世界へのカウンターだったはずのミニマリズムそのものが虚構性を帯びつつある話。

僕が初めて「ミニマリスト」という言葉を知ったときは、すごく「ほっ」としたのを覚えている。

 

当時の職場の上司が、非常にバブリーな価値観の持ち主で、

「家買いたいだろ?車買いたいだろ?家庭持ちたいだろ?じゃあ死ぬ気でやれ」的なことを常日頃から発言し、古い価値観を人質に、社員を誘導するタイプの人間で(書いてるだけで恐ろしい)辟易としていた時期だった。    

だから、物質主義と距離を置いてスタイリッシュに生きるミニマリストの存在は、

「モノやカネやブランド品がすべてじゃない。自分が見渡せる小さな世界をちょっとずつ自分の好きなもので構成していけるならそれで充分シアワセなのでは?」

そして、

「こういう人たちが少しずつ増えていったら、なんだか息苦しいこの消費社会も、少しは変わるんじゃない?」と、希望を湧かせてくれたのだ。

「古い世代の奴らは金で何でも買い漁った。だけど俺たちは自然の掟の中で生きる獣の世代さ」ブランキージェットシティ『PUNKY BAD HIP』より

 この歌詞のように‥‥。

 

 しかし、

ここ最近のミニマリスト界隈の発言や状況を見ていてちょっと思ったことがある。

ミニマリストの特集番組とか雑誌とかムック本とか新書とか・・・そろそろ出そうだな」

・・・「それがどうした~!」「全然悪いことじゃねえし!」と言われてしまいそうだけれど、

ざっくり申しますと、

「行き過ぎた消費社会へのカウンターになり得るはずのミニマリストが、いつのまにやら消費社会に取り込まれてる」

ということです。

ここ数十年で根付いた物質主義は、あくまで誰かに作られた虚構の物語だと僕は思っていて、そして言わずもがな、テレビや雑誌などのメディアは、

「私らしさ」をエサに、人々の「自己表現欲」を⇒「物欲」に変換させて消費をあおり、一方で巧みに均質化し(流行りをつくって)、コストを下げて物を売り(このバランスには本当に頭が下がります)スポンサー企業をどんどん儲けさせて、今以上に虚構の物語を拡張していくための最強最大の装置である。

少なくとも僕が考えるミニマリズムは、そういうのとは少し距離を置いていてほしいなあと思っているのだけれど、

ミニマリスト系のサイトでよく見る「こだわりの逸品」的な話は、下手すると、既存の虚構の物語の「枠内の価値観」に過ぎなくなってしまうのではないだろうか。

(僕もTwitterで私物紹介をしているのでえらそーなことは何も言えないし、ノームコアや茶室のような洗練された美を味わえる審美眼はとても素敵だと思う。「自分のやってること超イケてるわ」という感情の裏で、「こんなことに何の意味があるんだ」と疑える二律背反性があるかないかという点は、発信のスタイルや文章に大きな影響を与えると思う。言い換えれば自分の中の矛盾を自覚している人の方が、ことばに説得力と信頼性がある気がする

 

 じゃあ、どないしろっちゅーねん?!

と突っ込まれそうだけれど、

虚構に立ち向かえるのは同じ虚構ではなく、各人が自分の手で一つずつ積み上げる実感ある行動だけなんだろうなと思う。

 Twitter始めたばかりのころの青臭いつぶやきにヒントがあった。初心忘るべからず。

 

ミニマリズムは過程であってゴールじゃないけれど、できれば過程も楽しんでやれると良い。そしてゴールは、誰かに煽られることなく、それぞれがじっくり見つけて育てていけば良い」

 ひとまず今は、やっぱりこういう答えに落ち着きそうである。