わかったつもりでいたけれどほんとうはわからなかったこと。

読書。独学ヨガ。ミニマリズム。わからないことだらけ。

仕事と趣味の違いについてあらためて考えてみた。

春。

4月から社会人という方も多いと思う。

自分も気づけばこの4月で社会というものに出てから、ちょうど10年経った。

10年なんてまだまだ序の口だけど、自分なりに「仕事ってこういうことか」と、ようやくわかり始めた部分も少しはある。

そのひとつは、

『仕事とは、自らの働きを、他者によって正しく評価してもらうこと』

…なんて、「百も承知」という方もいるかもしれないけれど、これが仕事と趣味を分ける決定的な違いだと思う。

趣味やプライベートは、とにかく「自分が楽しいから」やるのだ。他人から良し悪しをジャッジされる必要はない。誰からも評価されなくても、たとえひとりぼっちだとしても、ニヤニヤしながら(他人に危害を加えない範囲で)、一銭の儲けにもならなくても(むしろお金をかけてでも)やり続けられるもの。作家の森博嗣さんがエッセイで「本当に楽しいことは自分の中だけに秘めておきたい。人に知られたくないし取られたくないから」というようなことを言っていたけれど、趣味の時間そのものよりも、その趣味をSNSにアップして、「いいね」をもらうことのほうが楽しくなってきた人は、もう潔く、「趣味はSNSです」と言っちゃったほうが良いかもしれない(近頃の僕です)

 

仕事は、『自らの働きを、他者によって正しく評価してもらうこと』。 

この「評価してもらえる」という環境が、実はとてもありがたく、貴重なことなんだと、最近少しづつ分かってきた。

自分はネット上において、今のところ物理的な利害関係はない。ブログでの発信やTwitterのつぶやきにたいして、よほど酷い内容でない限り「楽しそう。良かったね」という肯定的な反応がもらえて、平和な時間が流れ、穏やかな気持ちになれる。しかし「この行為はどこにも行き着く先がない」という空虚感に駆られることもたしかである(上にも書いたように、趣味とはそもそも何処に行き着くものでもないので、この空虚感はきっと「良い空虚感」なんだろう)

それにたいして、現実の仕事は、顧客や取引先から上司や部下、先輩後輩まで、全方位的な利害関係のオンパレード。それぞれの生活がかかっているから、各々の判断や行動、発言や思考に至るまで、かなりシビアな評価がお互いの他者によって下される。

漫画家でありタレントの蛭子能収さんは、エッセイで「雑誌の巻末にある読者の感想のページをすごくチェックします。もしかしたら編集者が隠れて書いてるかもしれないけど、自分の漫画を良くするためなら誰が書いてるかは問題ではない」と言っている。

自分の働きにたいする、馴れ合いではないシビアな評価が、自分の仕事の精度を上げ、誤差を修正してくれる。そこには目に見えるものを一つ一つ積み上げていくという実感があり、「もらっているのは毎月の給料だけじゃないんだな」という気持ちが生まれてくる(これが行き過ぎると「やる気搾取」的ブラック企業の匂いが漂ってくるけど)

 

ただそれでも、僕がいまだに問題だと感じるのは、

今回の定義でいうところの、

「正しい評価」をくだせる人間や環境というのが、現実において極めて稀だということ。

「正しい評価」とは一体??

人間はかくも感情に左右される生き物であり、フラットな心を保つことの困難さをひしひしと実感する。

これについても書きたいのだけど、長くなりそうなのでまたいつか。

 

ちなみに、蛭子さんのエッセイはゆる~くておすすめ。よかったらどうぞ。