わかったつもりでいたけれどほんとうはわからなかったこと。

読書。独学ヨガ。ミニマリズム。わからないことだらけ。

電車内でのスマホ率の高さについて思うこと。

f:id:coyote0801:20160424150426j:image

電車に乗っていて、ふと車内を見渡したとき、眠っている人を除けば、7割方の人がスマートフォンを操作している、という光景は今や見慣れてしまったことと思う。
 
隣から液晶画面を覗きでもしない限り(もちろん覗かないけど)その人がせっせと指で画面をタップしながら何をしているかは当然わからない。
 
LINEをしてるかもしれないしSNSをしてるかもしれないし音楽を聞いてるかもしれないし電子書籍を読んでるかもしれないしYouTubeを見てるかもしれないしネットショッピングをしてるかもしれない(それらを行ったり来たりザッピングしてることがほとんどだと思う)
 
 
その昔(ほんの数年前)スマホが無かったころ、人々の車内での過ごし方は、良くも悪くも可視化されていた。
 
文庫本を読む人、ハードカバー小説を吊り革に捕まって片手で読んでる人、CDプレーヤーで音楽聴く人、競馬新聞に真剣に印つけて予想してる人、シレッとした顔で週刊誌のグラビアページながめてる人、つり革広告をぼんやり見てる人、試験勉強する人、、、
 
「ああ、この人は今こういう状況なんだな」となんとなく把握できた。
「他人が何してるかなんて知りたくない」「スマホ便利なんだからいーじゃん」と言われればそれまでだけど、ちょっと寂しい。
 
皆が皆、肩や首が凝りそうなくらい、寄り目で画面を覗き込み、二重アゴになるほどアゴを引いて、ゲームやネットサーフィンに夢中になってる姿って、
 
『あんまり優雅ではないなあ』と思ったりする。
 
たとえば、逆に、
 
50代くらいのオジさんがアンニュイな表情で小説のページをめくって読み耽ってたり、CDプレーヤーをパカッと開けてお気に入りのCDアルバムを優しい仕草でセットする人がいたら、
 
『なんだか素敵だな』と思う。でも、そんな光景は以前にくらべて圧倒的に少なくなった。
 
スマホという一つの道具に、あらゆる行為や作業が集約&均一化されることにより、だれもが持っている(持っていたであろう)『仕草の魅力』が失なわれてるんじゃないかな。
 
たとえば、自動運転機能がさらに広まれば、いわゆる「バックで駐車する時の男性の仕草ってセクシー」という要素は失われる(ちょっと違うか)
 
などと、懐古主義らしいこと言いながらも、
 
僕だってこのブログ、通勤電車の中でスマートフォンで書いているので偉そうなことは言えない。
 
そもそも、都心集中型の経済による長ーい通勤時間こそ悪の根源なんじゃないかと思う。
 
読書だって、音楽だって、ゲームだって、落ち着いた家の部屋でゆっくりやったほうが、何倍も楽しいはずだから。