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【本の感想 】 村上春樹 自伝的エッセイ『職業としての小説家』

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気になってたけどようやく読みました。
 
村上春樹の小説が「オシャンティー&トレンディー過ぎてムリ〜」と生理的に受け付けない人が僕の周りには少なくないんだけど(一番身近な奥さんにまでがそう言う)そういう人にはぜひエッセイを一度読んでみてほしいと思ってる。
 
村上春樹の文章って、ある意味すごく『親切』で(物語の内容ではなく文体そのものが)一つの意見にたいして、これでもかというほど細かい補足や比喩や引用を付けたがりますよね(いつか知人が「春樹の小説から比喩表現を失くしたら、ページ数が3分の1になる」と言っていたけどあながち間違ってない気がします)
なので、小説を読むと、人によっては「回りくどいな〜早よ話進めろや〜」と感じられる一因になるのだけれど、これがエッセイの場合、親切さ丁寧さとして読み手に伝わり、結果とても読みやすくなっているように思います。
 
次の一文は、とても印象に残ったところなんですが、
 
もしあなたが、何かを自由に表現したいと望んでいるなら、「自分が何を求めているか?」というよりはむしろ「何かを”求めていない”自分とはそもそもどんなものか?」ということを、そのような姿を、頭の中でヴィジュアライズしてみるといいかもしれません。「自分が何を求めているか?」という問題を正面からまっすぐ追求していくと、話は避けがたく重くなります。そして多くの場合、話が重くなればなるほど自由さは遠のき、フットワークが鈍くなります。フットワークが鈍くなれば、文章はその勢いを失っていきます。
「何かを強く望む」というのは一見前向きなようで、ときに自分を縛ることにもなるんだなあと。望みを叶えるため、現実的な枠組みを固めざるをえないデメリットも出てくる。でも、そうやって前に進んでいかなきゃいけないのが人生だったりもする。変な例えだけど、「出世したがってるのが上司や人事にバレると、場合によってはやりにくくなる」とか、「恋愛において好きにさせたもの勝ち」みたいな。己の欲望を他人に把握されるというのはけっこう危険というか、少なくともメリットはあまり無いよな、とよく思う。ただ、そんな考え方をしてしまうのは寂しい気もする。
 
「何かを求めていない自分」というのは蝶のように軽く、ふわふわと自由なものです。手を開いて、その蝶を自由に飛ばせてやればいいのです。そうすれば文章ものびのびしてきます。考えてみれば、とくに自己表現なんかしなくたって人は普通に、当たり前に生きていけます。しかし、”にもかかかわらず”、あなたは何かを表現したいと願う。そういう「にもかかわらず」という自然な文脈の中で、僕らは意外に自分の本来の姿を目にするかもしれません。
好きな本読んで、音楽聴いて、映画見てるだけで、人生じゅうぶん幸せで、別に無理して何かを表現しなくても良い。
でも僅かでも、自発的に何か書いたり作ったりするのはなかなか楽しいものだと最近は思う。
「表現するために表現する」という状態にならないようにしたいな。