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わかったつもりでいたけれどほんとうはわからなかったこと。

読書。独学ヨガ。ミニマリズム。わからないことだらけ。

いい歳して私服がヴィジュアル系や〇〇ザイル系の人について思うこと。

もう一年以上も前なんですが、こんなツイートをしたことがありました。


僕はもともとレザーとかデニムが好きで良く着てたんだけど、『あ、なんかバイク乗ってそうだね』とか『ロックぽいねー』と言われるわけです。「安易にカテゴライズして語るんじゃねー」などと息巻いた時期もあったんだけど、今思えばそう言われても仕方なかったなって。実際にバイクが好きだったし、邦楽のロックが好きで(ブランキージェットシティとかね)そういう雰囲気の格好を好んで着てたんです。「よれよれのデニムシャツとレザーパンツ、エンジニアブーツ履いて、ボサボサの髪で単車乗って自由に生きる」なんて、今でも格好良いと思っちゃいますもん。
 
「憧れの人のファッションを真似る」というのは、多かれ少なかれ誰しもやったことあると思うし、その人のように生きられるかもって、楽しい気持ちになれる。
ただ、身も蓋もなく言ってしまうと、あくまで服装という、所詮は表層的なものを、一つのイデオロギーとして(それくらい妄想的に)取り込んでしまうのは、ちょっと危ないし、痛々しいかもなあと思ったりする。自身を振り返ってみてそう思う。
 
今思えば、そのときの自分の人生に、一切の自信が無かったんだと思う(今もあるとは言えないけれど)だから、何かしら、好みのアイコン的存在を見つけ、自身を同一化することで気持ちを保とうとしてたんだろう。
 
こんなこと言うとほんと怒られるかもしれないけれど、40代や50代の年齢の人が、例えば、ヴィジュアル系ぽい、ホストぽい感じの格好(タイトなシャツにフレアボトムで靴がとんがってる)をしてたり、〇〇ザイルっぽい格好(ツーブロック&オールバックに口髭、ショートパンツに裸足革靴、クラッチバッグ抱えて)をしてたり、お人形みたいなフリフリのフリルスカートを履いたりするのを見ると、
なんとも言い難い、微妙な心持ちになる。
 
以前に流行った森ガールとかゴスロリとかアムラーとかヒップホップ系も、同じようなものなんだろうけど、そういった、本来は一過性であるはずの(流行りに乗って楽しむくらいの)ものに、度を超えて何年間も執着するのは、ちょっと不気味に感じてしまうのです。
 
もちろん、
 ファッションなんてその人の自由。本人が楽しければどんな格好をしても良いと思う。
ただ、自分が今、一体何から影響を受けていて、その根っこには、色々とくっつけた付属物を全て取っ払った後に残る素っ裸の自分に対する不安があるかもしれないってことも、たまには考えてもいいかもなという話。
どっちが良くてどっちが悪いというわけではありません。
 
なぜなら、仮に、
「偏ってるのは悪であり、シンプルが一番!」という考えのもと、シンプルなファッションを目指して実際に身にまとったとしても、それはそれで、
『ノームコア』『モブキャラ系』とカテゴライズされる可能性もあるし、それを自分も良しとして、安心してしまうかもしれないから。
 
…という話はまた今度、書きたいと思います(このブログ、「また今度」率が高すぎですね)
 
人間とはとにかく、『安心』を求めて生きるんだなーと、しみじみ思います(DIO様も言ってた)そしてその安心を自分の内側ではなく外側に求めるのだと。
 
 

 

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