わかったつもりでいたけれどほんとうはわからなかったこと。

読書。独学ヨガ。ミニマリズム。わからないことだらけ。

1982年生まれの僕が『1982 ー名前のない世代』を読んで思ったこと。

 1982

 名前を付けられなかった世代

団塊ジュニア」「ロスジェネ世代」「ゆとり世代」…こういった世代ごとのネーミングがふつーに日時会話に出てくるぐらい、世代論的な話題は一般的なものになりつつある気がする(血液型トークほどまではいかないとしても)

で、この本によると、唯一、特に名前を付けられてない世代というのがあるらしい。それが1980年代前半の生まれ、とくに1982年生まれがドンピシャなんだとか。ふーんなるほど………ていうか俺じゃん!(1982年夏生まれ)ということで、ついつい気になって読んでみた。

 

 

名前がないのは存在感が無いからなのか?

全然そんなことはない。

1997年の神戸サカキバラ事件、2000年の高速バスジャック、2004年の早稲田大スーパーフリー事件、2008年の秋葉原トラック暴走殺人、2012年のパソコン遠隔操作、エトセトラエトセトラ、、、全て1982年世代の犯行。また、STAP細胞の小保方さんもこの世代。

そう、悪い意味で目立ちまくってる。

僕も成長の過程で、これらの事件を知るたびに「また同い年だ…まじカンベンしてくれ」とテレビの前で嘆いていたのを覚えてる。ちなみにこないだ公然わいせつで捕まったチクビおじさん(電車内で自分のちくびを触りながらただ見てくるオッサン)も1982世代だ。やばいよ1982年。どうなってんだ。これだけ目立ってるのに名前を付けられなかったのは何故なのか。ヤバすぎて触れたくなかったのか。大人たちは見て見ぬふりを、臭い物に蓋をしたかったのか。

 

 

 現実よりも、ブラウン管の向こう側のほうがリアリティを持ってしまった2つの事件。

もちろん本書では、

「1982年生まれヤバいわーサイコパス世代だわー」

という書き方は一切されてない。何より活躍している人だって沢山いる。

 

それを踏まえた上で、この世代に共通した傾向を見つけるとするならば、多感な思春期に差し掛かった1995年、阪神淡路大震災オウム真理教による地下鉄テロ』という2つの歴史的事件を体験したことで、現実と虚構がごっちゃになる感覚を持ってしまったという点じゃないだろーか。

f:id:coyote0801:20160711144124j:image

僕も当時小学6年生だったけど、ジオラマのように横倒しになった阪神高速道路や、ブラックジョーク系のコントでも見てるようなオウム真理教麻原彰晃の姿を見て、めちゃくちゃ戸惑った記憶がある。『これから僕が出て行く世の中というのは、なんだか作りものみたいだ』と。

 

 

 虚構から現実社会へのシフトチェンジをし損ねた世代。

多くの人は、大人になって社会に出れば「虚構はしょせん虚構。ゲームはゲーム。アニメはアニメ。自分の生活を形作るのはあくまで目の前の現実でしょ」という当たり前の感覚を身につけるはずなんだけど、1982年世代は、その成長途中の真っ只中で、インターネットという、かつてない情報の波にさらされることになる(当時のWindows95の取り上げられ方は凄くて「インターネットでこの世界の真実を見つけよう」とかそんなニュアンスだった)

彼らは、虚構から現実にシフトチェンジするタイミングを見失ったことで、虚構が肥大化したまま大人になってしまった世代なのだ。簡単に言うと「頭でっかち」ということ最初からネットがあれば逆に『リアルはリアル、ネットはネット』とシビアに線引きして捉える感覚が自然と養えるんじゃなかろーか。今の若い人たち見ててそう思う)

 

 

虚構が肥大化したまま大人になった時に苛まれる空虚感はけっこーキツい。

これはどんな世代でもあるんだろうけど、1982年世代はとにかく『みんなで共有した虚構世界』がその後の世代に比べて大きいんじゃないかと思う。小学校の頃、教室での話題は、ほぼドラクエファイナルファンタジーか少年ジャンプの話で、それだけで友達の輪に入れたし(ほんとに平和な時代だった)1997年に再放送で大ヒットしたエヴァンゲリオンもドンピシャで主人公たちと同じ14歳。現実よりも虚構のほうが価値がある素晴らしいものだと強く信じたまま幼年期〜少年期を過ごした。でも、彼らが大人になったとき、あの強力な一体感はどこかへ行ってしまった。だからこそ、人生のいろいろな節目(進学とか就職)でぶち当たる現実という壁の容赦のなさ、退屈さに耐えられなくなる。

 

 

空虚感の埋め方を間違えたやつが犯罪に走る。

無差別殺人を犯した人間が「人を殺してみたかった」という言葉をよく使う。それはよーするに劣等感だらけで満たされないショボい自分を、殺人という特別な行為によって、一段上にレベルアップさせたいと、そうすれば誰かに振り向いてもらえるという破滅的な思考回路なんだろうけど、それは結局、ただの自己満、自慰に人の命を利用するという最低の行為であって、救いがないわけです。

そもそも空虚感なんてのは世代関係なく誰もが多かれ少なかれ抱えてるもので、その空虚感を埋めるためにみんなコツコツ日々を暮らしてるんだから。日々の細かな(ときに面倒な)積み重ねを避けて、一足飛びで全能感を得ようとしたやつらが1982世代には多かったのかもしれない、、、。

 

最後に本書からの引用を少し。

 

彼らはおびただしい量の血を見てから暴力を経験し、飽きるほど裸を眺めてからセックスを知るようになった最初の世代である。
35ページ「暴力との出会い」より

 

この本を読んで、なんとなく自分の正体みたいなのが少し分かった気がします。