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わかったつもりでいたけれどほんとうはわからなかったこと。

読書。独学ヨガ。ミニマリズム。わからないことだらけ。

【本の感想】他人と深く関わらずに生きるには 池田清彦

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ブックオフをふらついていたところ、タイトルに惹かれ、つい手に取り、気づけばレジに並んでいた(108円だけどね)

「他人と深く関わらずに生きるには」

とても魅力的な一文である。とはいえ「人は一人では生きていけない」という言葉を世間のあちらこちらで聞くように、他人と一切関わらずに生きていくことは不可能なのだろう。だからこそ、

”深く”関わらない

この部分がきっとポイントなんだろうなと思いながらページを開いた。

大人になっても、だれかにかまってもらいたい、だれかにめんどうを見てもらいたい、だれかに甘えたい、というのは、だから赤ん坊の感性をひきずっているのである。

 こういう大人はたしかに多いと思う。特に、怒りとか悲しみといったネガティヴな叫びを周囲の他者に撒き散らして、「おれは苦しんでるんだ、怒ってるんだ、なんとかしろよ」という手法で他者をコントロールするパターンは本当にタチが悪い。こういう人間の周りにはなぜか”良い人”がいて、事を荒立たせないように、そいつの言うことを聞いてしまうという絶望的な法則が存在する。いや、”良い人”たちは何も悪くない。怒りをばら撒く人間が「こいつらなら大丈夫だろう」とタカをくくっているのだ。自分が思い通りにやれる場かどうか、狡猾に吟味してやがるわけです。反撃されそうだと判断すれば、そいつ自身、表面上はそこまで横暴にはなれない(中身が邪悪なことには変わりないが)要するに非常にビビリなわけ。DVや、せまい職場内でパワハラやる人間もこれと同じ。

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「私は憤ってます」アピールは、100%の悪に大事なものを奪われたときだけ、それくらいにしといたほうがいい(孫悟空のようにね)他人はお母さんやお父さんではない。赤ん坊のように感情をバクハツさせてコントロールできるのはパパとママだけ。職員室に入ってくるなり「先生、プリント」とだけ発語する小学生もこれと同じ。具体的な言葉と理論的な思考あってこそのコミュニケーション。

 

自動車の影すら見えないのに赤信号の前でじっと待っている人がいる。交通ルール原理教の鑑である。私はこういう人を見ると、国家にたましいを抜かれちゃったんじゃないかと思い、気の毒になってくる。車が来なければ、信号などあってもなくても同じなのだから、信号を無視するのは当たり前なのだ。イヌだってネコだってそうしている。動物的機能という点ではイヌ・ネコよりアホである。

 ここ数年、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉をあまり聞かなくなったと感じるのは僕だけだろうか?むしろ今の日本の場合は、

赤信号はみんなで律儀に守って(監視し合って)向こう側に行こうとする勘のいい奴を、内心誰もが「轢かれたらいいのに」と願っている。

そんな救いようのない空気感があるように思う。誰も信号無視なんてしない。「ルールで決まってるから」「皆そうしてるから」お利口さんの群れ。B’zの「FEAR」という曲に『あいつら人がコケるのを手ぐすね引いて待っているんだって』という詞があるけどまさにそんな感じ。「他人と深く関わらず」の「他人」とは、ある特定の個人ではなく「世間」とか「社会」と言い換えてもいいと思う。

 

あなたにとって自分が特別なように、他人にとっても自分は特別なのだ。

この当たり前なことを分かってない人が多すぎる(もうこれは僕自身もふくめて)

著者の池田清彦さんはどこかで見たお顔だと思っていたら「ホンマでっかTV」に出演している人だった。なんとなく面白い人だなあと思っていたけど、著書はTVの何倍も面白かった。どれだけ公共の電波に乗ろうとも、その人のほんとの魅力や人間性なんてなかなかわからないものだ。

190ページの薄い本。サクリと読めます。