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わかったつもりでいたけれどほんとうはわからなかったこと。

読書。独学ヨガ。ミニマリズム。わからないことだらけ。

独学でもヨガを続けている理由。

痩せたいとか、健康維持したいとか、そういう気持ちはもちろんありますが、その全てをヨガに求めてるわけではない気がします(あくまで僕の場合は)痩せたいなら食事制限するのが手っ取り早いし、健康だって食事内容や生活習慣を精査するだけでかなり改善できるはず。

では、何故ヨガを続けているのか?(ヨガ教室に通うわけでもなく、宅ヨガで1人細々とね)そんなことを考えました。

 

先日、ここのところずっとサボっていた朝ヨガを再開しました。といっても太陽礼拝+立ち系ポーズを2、3個。10分程度のゆるいメニューだけど。

基本的に僕という人間は、ズボラで、テキトーで、怠け者で、人に冷たくて、自分ばかりかわいいと考えている救いようのない奴なのです(唐突ですが)とにかく、デフォルトだとほんとにそんな人間なのです。

 

でも、たとえ5分でも10分でも、集中してヨガを終えた後だけは、たとえば駅までの道をいつもより少し背筋を伸ばして歩いてみたり、ホームへ上がる階段を一段とばししてみたり、コンビニの店員にいつもより少し気を使って「ありがとう」などと慣れないことを言ってみたり、電車でいつもより少しがんばって立ってみたり、そんないくつかの「いつもより少し」が集まって、どうしようもない自分という人間が、ほんの少しだけマシになれる気がするのです。

 

そんなふうに、なるべく「ほんの少しでもマシな自分」で毎日を過ごしたくて、細々とヨガを続けているのかもしれません。いつか「ほんの少しでもマシな自分」の方を、デフォルトの自分にできるように。

 

「それって別にヨガじゃなくてもよくない?」と言われるかもしれません。でも、雨の日も風の日も、季節問わず、畳一畳のスペースとヨガマットさえあればできるのがヨガなので、出不精でめんどくさがりの僕にはぴったりだったのです(なにより1人ぼっちでもできます)

 

 最終的には、ヨガのポーズをとらなくても、電車内で瞑想するだけで、上に書いたような心持ちにもっていけたらいいんですが、それはもはや達人名人の域なので、今はせっせと慣れたポージング(たまには新たなポーズに挑戦しつつ)励みます。

そもそも「瞑想するには座禅でジッとしてるだけじゃ難易度が高すぎる」という考えのもと、肉体を媒介とする瞑想法としてヨガのポーズが生まれたわけですしね。