わかったつもりでいたけれどほんとうはわからなかったこと。

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お茶の起源にまつわる神話が面白い。「偶然のような必然」からお茶は生まれた。

「人類で初めて生牡蠣や納豆を食べた人がいるように、お茶を初めて飲んだ人というのも存在するはずだよな…」

などと思い立ち、お茶の起源について調べ始めたら、とても興味深い逸話や言い伝えが色々と見つかりました。今日はその中から中国の伝説を紹介します(伝説と言うとなんだか堅苦しいのでザックリといきます)

 

【中国の言い伝え  炎帝神農  編】

紀元前2700年ころ、中国に炎帝神農(えんていしんのう)という名前の皇帝がいたんだって。

この人はちょー頭が良くて、火の起こし方、農耕のやり方、病気の治し方などなど、生活に役立つ知恵を人々に教えて回ってたんだとか。歩く「ためしてガッテン」みたいな感じかな。

そんな神農さんはいつも清潔で、きれい好きで、水は必ず一度煮沸消毒したものしか飲まなかったんだって。つまり白湯ばかり飲んでたんだね(ちょっとミニマリストみたいだね)

で、ある日のこと、ちょっと頑張りすぎて疲れてしまった神農さんは、お茶の木の下に腰をおろして、休んで、いつものように白湯飲んでたわけ。そしたら、たまたま風が吹いて一枚の茶の木の葉がひらり。器の中に葉が落ちた。それをそのまま飲んでみたところ、神農さん曰く「めっちゃ香り高くて美味しい。なにこの幸福感」と絶賛。感動したという……。

これがお茶のはじまりのはじまり。

 

この、”たまたま”な感じ、偶然感、とてもいい。

 

さらに、バイタリティ溢れる神農さんは、未知の野草を自ら率先して食べて「これは食べれるよ。でもこれは食べたら死ぬよ」と薬草か毒草かを見極め、人々に伝える…というかなりハードな『毒味役活動』も行っていたらしく、体内に取り込んでしまった毒素を浄化するためにお茶を愛飲するようになったんだとか。この人がお茶を発見したことは、「起こるべくして起こった偶然」という感じがする。

 

そういえば村上春樹氏がエッセイでこんなこと言ってた。

それは空から何かがひらひらとゆっくり落ちてきて、それを両手でうまく受け止められたような気分でした。どうしてそれが”たまたま”僕の手の平に落ちてきたのか、そのわけはよくわかりません。そのときもわからなかったし、今でもわかりません。しかし理由はともあれ、とにかく"それ"が起こったのです。それはなんといえばいいのか、ひとつの啓示のような出来事でした。英語にエピファニーepiphany)という言葉があります。日本語に訳せば「本質の突然の顕現」「直感的な真実把握」というようなむずかしいことになります。平たく言えば、「ある日突然何かが目の前にさっと現れて、それによってものごとの様相が一変してしまう」という感じです。それがまさに、その日の午後に、僕の身に起こったことでした。

村上春樹「職業としての小説家」(新潮文庫)より。

春樹氏は晴れた午後、神宮球場で野球観戦していて、バッターが打ったレフトヒットの美しい放物線をぼんやり見ていたときに、ふと「僕にも小説を書けるかもしれない」と思ったんだって。なんかちょっと似てる。

 

  「運命は決まってる」っと言うとネガティヴな感じに聞こえるけれど、「自分が歩むべき正しい運命」みたいなのはあるんじゃないかなあ。それに気付けるかどうか。その尻尾を掴んで、たぐり寄せられるかどうか。周りに流されたり、現状維持や思考停止でそれができない人も(僕です)多いけれど。

 神農さんのもとに茶の葉が落ちてきたのは、このエピファニー=啓示に近いものだったんだと思う。言い伝えの域は出ないけれど。とにかくお茶を発見してくれたことに感謝するのと同時に、僕のもとにもエピファニー降って来ないかなー、などと夢想してしまうのである。