読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

わかったつもりでいたけれどほんとうはわからなかったこと。

読書。独学ヨガ。ミニマリズム。わからないことだらけ。

【本の感想】読書からはじまる 長田 弘著

f:id:coyote0801:20170222182659j:image

本屋で何気なく、表紙と、背表紙と、題名が気に入り、気づけば手にとってレジに並んでいた。最近はこう、ジャケ買いというか、「家の本棚に並んでいたらなんか良い感じかも」という基準で本を選ぶことが多いです。著者は詩人の長田弘さん。

 

「読書することで語彙力アップ。コミュニケーション能力を培う」

「読書することで世界中のあらゆる価値観に触れることができる」

そういった読書論とは180度まったくちがった角度から書かれた「本を読むこと」についての本。

 

「読む本」「読むべき本」が、本のぜんぶなのではありません。本の大事なありようのもう一つは、実は「読まない本」の大切さです。図書館が、一人一人にとっては、すべて読むことなど初めから不可能な条件のうえにたってつくられるように、「本の文化」を深くしてきたものは、「読まない本」をどれだけもっているかということです。(6ページより)

仮に、のこりの僕の人生時間のすべてを読書についやしたとしても、この世界に存在するすべての本を読むことなどはできない。当たり前のことなのに、ときにその事実が無力感を突きつけてくることがある。けれど、もし仮に、図書館に住んで、食べて、寝てをできるとしたら、何千何万という「読んだことない本がじぶんの目の前にある」ということに幸せを感じると思う。気持ちだけでも「図書館に住んでる」って感覚で暮らせたらいいな。エアー図書館。

 

本はソフトウェアです。それもぬきんでてゆたかなソフトウェアです。そうであるにもかかわらず、そのゆたかなソフトウェアをどこで、どうやって活かすべきか、読書をめぐるハードウェアがあまり問われることがないというのは、不思議です。(38ページ「どんな椅子で本は読むべきか」より)

 本書では「椅子」のたいせつさがたくさん語られるけれど(表紙のイラストにもなっているジョージ・ナカシマ氏の椅子はほんとうに素敵)椅子はもちろんのこと、ブックカバーやしおりの素材や手ざわり、本をならべる本棚の素材やサイズ、また、もしも本に線を引きながら読む人なら、どういったペンで書きこみをするか、そんなところにもすこしこだわってみると、読書の世界が広がるんじゃないだろうか。暖かくなったら川の土手や公園のベンチで読んだり(海外だと休日の昼下がりにベンチで読書するって、ふつうの光景らしいですね……いいなあ)

先日、こんなことをツイッターでつぶやきましたが、

このお店の窓際の席、日当たりも良くて、さらに椅子の座りごこちもとてもいいんです(どこにでもあるチェーン店なんですけどね)読書がはかどるし、ついつい昼寝してしまうこともある。

 

二〇世紀の初めのころの大阪に、府立図書館がつくられます。そのときの図書館では、閲覧室の椅子は予約制で、行ってチケットをもらうと椅子を自分専用にでき、そこへ行って自分の椅子で、本を読む人たちが少なからずいたと言われます。(59ページ「椅子で人生が変わってくる」より)

「椅子にこだわり抜いた読書カフェ」というのがあったらいいなあ(それこそ店内にはジョージ・ナカシマ氏の椅子が用意されている)お客はその椅子で何時間も読んじゃうだろうから、1時間ごとに料金が発生するシステムでもぜんぜんいい。考えてみれば、カラオケボックスだって、スポッチャだって、温泉宿のピンポンだって時間ごとに有料なわけだし…。最高の椅子に座って本を読むという行為に、人はお金をださないだろうか。

 

1章の「本はもう一人の友人」、2章の「読書のための椅子」は、本好きの方ならウンウンとうなずきながら読めると思う。後半は、なかなか概念的というか、一読しただけでは腑に落ちなかった。本棚に置いておいて、また読みたい。