読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

わかったつもりでいたけれどほんとうはわからなかったこと。

読書。独学ヨガ。ミニマリズム。わからないことだらけ。

春コートに求めるのは、きっと防寒性などではなく。

今日、春コートを買った。

いわゆるスプリングコートである。

春コートを一着持つことは、オシャレレベルが「テレレレッテッテッテー」というあの馴染みの効果音とともにアップすることのような気がする(少なくとも僕にとっては)

僕は昔から春コートというものが欲しかった。「渇望」なんていうと誇張しすぎだけど、「憧れ」と言っても、大げさにはならない程度に欲しかった。

しかし誰もが知っているとおり、冬の寒さと春の暖かさが卓球のダブルスの選手たちのように入れ替わり立ちかわりするこの季節は、長くとも一ヶ月半くらいしか続かない。あくまで限定された季節なのだ。だから僕は毎年春を迎えるたびに「春コート欲しいな…‥」とぼんやり願いながらも、冬用の厚いコートやマフラーやユニクロのウルトラライトダウンを総動員し、調整し、生来の横着さを最大限発揮して、この揺らいだ季節を過ごしていた(その横着さは、朝寒く、コートを着て家を出て、帰りの電車では暑くてコートを脱ぎ脇に抱えるという小さなストレスを毎日僕にもたらした)それでも、やはり僕は春コートを買わないまま、いつのまにか季節は梅雨に突入し、初夏を迎える。毎年毎年、そんなことを繰り返している。

でも今年僕は、春コートを買ったのだ。

ルミネの中のジャーナルスタンダードで買った。コートと呼ぶにはいささか生地がテロンテロンの薄手で、初春特有の肌寒さをしのげる機能を満たしているとは言い切れないけれど、シルエットと色がとても気に入って購入した。持っている服との相性もばっちりだった。

僕は最初からわかっていたのだ。

そもそも、春コートに防寒性は求めていないのだということを。

真に求めているのは、この限定された季節のためだけの専用の一着を、自分が所有しているという事実。そして三寒四温の日々を、「お気に入りの春コートのオンオフで上手にスイッチしてるんだよ」と誰かにアピールできることなのだ。

これは何とも恥ずかしいことである。

人の自己満足とは、自分の評価だけでは飽き足らず(自己満足なのだから自分が納得すればそれで良いもののはずなのに)他人からの視線や評価がなければ真に満たされないものなのだろうか。そんなことを考えると少し暗澹たる気持ちになった。それに、普段ミニマリズムを実践すると言いながらも、また一着服が増えている。矛盾である。

けれど、最近強く思うのは、身の回りをシンプルにしていくにつれ、自分の本来の欲求が、じんわりと表に現れてくるようになった、ということだ(例えそれが一見して醜いものであったとしても)そうやって浮かんできた欲求にたいして、波に乗るのか、ズバッと切り捨てるのか、しばらく傍観するのか、そのたびそのたびに地道に判断を下していこうと思う。

f:id:coyote0801:20170410131516j:plain

f:id:coyote0801:20170410132048j:plain

防寒性はともかく、水にはめっぽう強いようなので、春の夜の霧雨の中、フードかぶって歩いてみたい。