自身の安寧のために弱者をコントロールすること。

休日。

朝から近所の動物病院に猫を連れて行く。

下の子の方の背中に、数週間前から小さなおできがあり、それが潰れて膿が出ていたためである。

当の本人(本猫)は痛がる様子なく、いつものように部屋を駆け回り、目につくものところかまわず噛みつき、お姉ちゃん猫に戦いを挑み、平常運転だったので人間側も気にしてなかったのだけど、猫のできものは油断ならないし、膿が出たとなるとやはり心配で獣医に診てもらいたかったのだが、病院に着いたらなんと臨時休診。後日あらためて妻に行ってもらうことになる(猫からしてみれば、ただ朝からキャリーに入れられて近所を散歩しただけであった)

 

この下の子の方は、引き取った保護猫シェルターにいた頃からスタッフさんから問題児と称されるほどやんちゃで、我が家に来てからも手が負えないことがあり、ときに私も仕事から帰って疲弊しているときに、壁紙をガリガリされたり、爪を立てて体をよじ上られたりすると、我慢の限界が来て声を荒げてしまうことがある。しかし、猫はただ猫として、そこに生きているだけなのである。そこには善行も悪行も無い。「1歳を過ぎれば性格も落ち着くかも」と思ったりもするがそれもまた所詮、人間の希望的観測にすぎず、人間ばかりが「自分らしく生きたい」などとのたまう前に、猫の「猫らしく」を受け入れなくてどうするのだろう。

 

仕事に行く妻を見送ったあと、ツイッターを眺めていたら、吠えグセの治らない犬を去勢するための「吠えると電流が流れる首輪」なるものがあり、その商品のアマゾンレビューを批判するツイートを見かけた。使用者は夜間の鳴き声による睡眠不足や、隣近所からの苦情に悩み、その首輪を購入したようだった。レビューの文章は「吠えた瞬間痛みに苦しんでいて効果がありました!」などという胸糞悪くなる内容だったが、私が下の子にたいして時折抱いているであろう「自分の安心と安全のために弱いものを無理やりコントロールしようとする欲望」と深いところでは繋がっていて、このレビュアーたちと自分は、決して別世界の人間ではないのかもしれない。そう考えずにはいられなかった。彼らを「鬼畜だ、悪魔だ」と切り捨てるだけなら簡単である。

 

その後、洗濯をして朝風呂に入り、youtubeでゲーム実況動画をぼんやり見る(なんとも良い身分である)そのゲーム実況者は、かつて小学生だった僕と弟が、1年以上かけて苦労してクリアしたゲームを、ほんの1時間足らずでクリアしていた。

動画を見終えると駅前まで行き、郵便局でフリマアプリで売れた品を発送し、カレーのチェーン店で「オムカレー」を食べ、ブックオフを小一時間ふらつき、セブンイレブンでカフェオレを買って帰って来て、それを飲みながらこの文章を書いている。日はゆっくり沈み始め少し肌寒くなっている。二匹の猫たちは毛布や布団に埋まりながら静かに眠っているが、勿論この静寂は長くは続かないし、続かなくていいことなのだ。